東浩紀のグレッグ・イーガン論

自由を考える』を読んだとき、論議のモデルとしてグレッグ・イーガンの小説が使えるんじゃないかと思い浮かんでいたのだけど、東浩紀の公式サイトhirokiazuma.com(http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/)によると、ちょうど『SFマガジン』8月号にグレッグ・イーガン論を寄稿しているらしい。今日あたり発売じゃないかと思うので、後で読んでみるつもり。

[追記]
読んでみたら、僕の想定していた論点とは違ったせいかいまひとつぴんとこなかった。似たような主題を描くフィリップ・K・ディックと比較して、イーガンの世界ではディック的な「自分は人間なのか機械なのか?」という疑念はもはや問題にはならない、なぜなら「計算」という新たな第三の軸から見ればどちらも違いはないからだ、というような論旨。