20040720

○いまさら知ったのだけど、はてなアンテナにはhttp://a.hatena.ne.jp/checkというのも用意されていたのか。これを使ってみたら更新が反映された。(はてな側の自動巡回が滞っているのかも)

http://homepage3.nifty.com/sugiemckoy/diary/200407-3.html#20040720より、http://www.sankei.co.jp/news/040719/boo005.htm。「伊坂幸太郎『チルドレン』は「成りすまし」がテーマ。」って、そうだったのか……?

マーティン・ベッドフォード『復讐×復習』

ASIN:4594026095 Acts of Revision (1996) / 浜野アキオ訳 / 扶桑社ミステリー文庫 ISBN:4594026095

ぼくの名はグレゴリー・リン。三十五歳。孤児で独身で四歳半のときから一人っ子。

……と語りはじめるサイコ犯罪者の一人称小説で、すごい傑作とは思わないけれど面白く読めた。主人公がもういい年なのにいつまでも子供時代のことにこだわっているところなど、ジャン・ヴォートランの『グルーム』、パトリック・マグラアの『スパイダー』にいくらか通じる。

作者マーティン・ベッドフォードは英国の作家で、もう一冊、第三作の『ジグザグ・ガール』(創元推理文庫ISBN:4488207022。これは奇術師が亡くなった恋人の思い出を語る小説で、この『復讐×復習』とはまったく毛色の違う内容なのだけど、語りの構造は共通するところがある。どちらの作品の語り手も、物語上の出来事を直線的に語るのではなく、迂回しながら細切れに、しかも前置きとして自分の物の見方や考え方をたっぷり織り混ぜながら語っていく。したがって物語の全貌はなかなか見えてこないのだけれど、この語りの完成度がとても高くて、本当にこういう人物がいて読者に向かって語りかけているような印象を与える。実際のところ、物語上の出来事よりも語り手の人物像を読者に印象づけることが目的になっているのではないかと思う。奇怪な犯行計画を実行するサイコ犯罪者とか、奇術を職業とする人物とか、あまり現実味のないように思える人物の語りが、説得力をもって積み重ねられるところを読むのはなかなか面白い体験で、他の作品も気になる。

『ザ・プレイヤー』

The Player (1992) / 監督: ロバート・アルトマン

ハリウッドの虚実を描いた業界内幕もの……かと思ったら、筋書きは普通のサスペンスだった。最後に何とか映画の話を絡めて帳尻を合わせているけれど、それまでは別にハリウッドが舞台じゃなくても成り立つような話に思える。有名人が次々と出てきて退屈はしないものの、期待したほどの面白さはなかった。

この時期の前後、『バートン・フィンク』(1991年)とか『ブロードウェイと銃弾』(1994年)とか、映画の内幕ものが多い気がする。流行っていたんだろうか。

『群盗、第七章』

Brigands: Chapitre VII (1996) / 監督・脚本: オタール・イオセリアーニ

オタール・イオセリアーニ特集上映「http://www.bitters.co.jp/otar/index.html」にて鑑賞。

カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』みたいな枠物語を使って、中世・ソ連時代・現代の時空を超えて行き来する『アンダーグラウンド』(自国の歴史をもとにした法螺話という意味で)みたいな感じ。グルジアの歴史に興味がないので政治風刺のような部分は括弧に入れざるを得ない、というのもあるかもしれないけれど、この手法だと誰か外部からこのフィルムを操っている作者がいることを念頭に置いて、その手の内を読もうとすることになる。そうすると自分には関係のない映画だなと思えてしまった。

阿部和重『映画覚書 Vol. 1』

bibid:02444056 文藝春秋 ISBN:416365920X

阿部和重の映画批評集。書店で覗いてみたら、スティーヴン・ザイリアン監督の『ボビー・フィッシャーを探して』を論じているのが目に留まったので購入してみた。

その『ボビー・フィッシャーを探して』評は面白かった。主人公の少年が周囲の大人たちからの期待にすべて応え、なおかつ先達の「ボビー・フィッシャー」とは異なる彼独自の生き方を示した(それらを描くことにザイリアン監督が成功した)ことを明快に論じている。そのうち作品を見直そうかと思った。(ただし、途中でザイリアンが脚本家として優れていることを論じた部分は長いわりに論証が緩くて、いくぶん寄り道になっている)

その他では、ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とジョン・カサヴェテスの『オープニング・ナイト』を論じた文章の着眼点が良かった。

これ以外の時評はそれほど読むところがなかった。というか、僕は例えば阿部和重らの賞賛するジョン・カーペンターの『ゴースト・オブ・マーズ』の何が良いのかさっぱりわからないので、根本的に好みが合わないのかもしれない。

余談ながら、『ホーム・アローン』よりも『ハリー・ポッター』のほうが幾分かましに見えたのは、エマ・ワトソンの見た目に騙されただけだったかもしれない(p.28)、といった記述があったりとか、対談で好きな女優を訊かれて即座に「子役時代のナタリー・ポートマン」を挙げたりというのは、『シンセミア』でロリコン警官を楽しそうに描いていた作家らしくて面白かった。(「モーニング娘。」の映画を熱く論じた項目もある)

『スチームボーイ』

ASIN: 4048537644 2004年 / 監督: 大友克洋

主人公が宝物(「スチームボール」)をめぐる争奪戦に巻き込まれ、それを軍事兵器に利用しようとする組織に狙われる……という宮崎駿の『ナウシカ』『ラピュタ』みたいな話を、歴史上のヴィクトリア朝英国を舞台に展開するスチームパンク活劇。宮崎アニメ的な美少女が出てこないかわりに、蒸気機関などのメカ描写に凝っているのが印象に残る。

話が似通っているのでどうしても『天空の城ラピュタ』と比較してしまうのだけれど、主人公をはじめとして愛すべき登場人物が誰ひとり出てこないのに、古典的な冒険活劇をやられても盛り上がらない。作家の資質と選んだ物語の枠組みが合っていなかったのではないだろうか。作家の趣味が大暴走した迷作というわけでもなく、中途半端に売れ線を狙って外すのも考えものだと思った。

そのうち誰か『ラピュタ』風に「〜は何度でも蘇るさ!」と言い出すのではないかと見守っていたら、やっぱりそういう台詞が出てきたのでおかしかった。

これで今年公開予定の三大アニメ映画のうち、『イノセンス』と『スチームボーイ』の二本を見たことになるけれど、どちらも「いまさらサイバーパンク」「いまさらスチームパンク」と、そのジャンルに思い入れのない者からすると一昔前の流行をなぞった時代遅れの作品に見えるのは否めなかった。CGによる緻密な世界構築を見せるために登場人物が駒として動くというような、『ファイナルファンタジー』の特に「7」以降(個人的には「7」はわりと好きなのだけれど)が陥ったのと同じような物足りなさが見られるのも気になる。ということで結局、宮崎駿http://www.howl-movie.com/に期待するしかないのか。