ヤン・シュヴァンクマイエル短篇集
渋谷シアターイメージ・フォーラムのhttp://www.imageforum.co.jp/svank/、Fプログラムの短篇集を鑑賞。上映作品は以下の通り。
自然の歴史(組曲) / 部屋 / 対話の可能性 / 地下室の怪 / 陥し穴と振り子 / 男のゲーム / セルフポートレート / 闇・光・闇
どうせならなるべくビデオレンタルで見られない作品を、ということでこれを見ることにした。
感想を言うと、思ったほど好みではなかった。チェコといえば旧共産圏なので芸術作品には必ずや政治風刺が含まれているに違いない、と深読みもできるし、それは口実で単に粘土やら何やらを使ってシュールなグロテスク描写をやりたいだけともとれる。
前半は面白いけれどパターンがわかると繰り返しに見える、という作品が多い気がする。
印象に残った作品。「部屋」はもろカフカ風の不条理もの。「対話の可能性」は特に前半部、手間がかかっているなと感心した。「地下室の怪」は『アリス』風の少女によるお使いの話。思えばシュヴァンクマイエルの作品に出てくる綺麗なものは少女だけのような気がする。「陥し穴と振り子」はもちろんポー原作なのだけど「部屋」と同じくカフカ風にも見える。「闇・光・闇」は粘土細工で人間を解体する、そのままの作品。
どの作品でもたいてい、食事という行為がグロテスクに描かれる、食べることは人間が生きることの基本だから、食をグロテスクに誇張することで人間と生を解体する、というような意図があるのだろう。
20040725
○http://www.h4.dion.ne.jp/~wsdsck/contents/joze_to_tora_to_sakanatati.html(7月31日〜8月6日) 『オアシス』は見逃しているので気になる。(http://6928.teacup.com/mastervision/bbsより)
○というか評判を耳にするにつけ、『ジョゼと虎と魚たち』に足りないと感じたものが『オアシス』で描かれているのではないか、と勝手に思い込んでいます。
○ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』ISBN:4336045666、書店に並んでいました。次の週末くらいには読めるかな。
20040724
○http://d.hatena.ne.jp/machizo3000/20040723#p1 TVで本人が自己紹介しているのを聞いたら「キルステン・ダンスト」が一番近そうだったのでこの表記にしています。(しかし、彼女は果たして美人なのか、ということに比べたらごく些細な問題のような気もする)
○http://6102.teacup.com/furu/bbs 訳者の古沢嘉通氏の掲示板より。確かに昨年ウォーターズの『半身』があれだけ評判になったのだから、『奇術師』が話題を集めてもいいような気もする。個人的に、読んだ感想としては年末の人気投票で上位に入るんじゃないかなと思っていた。
○関連リンク: http://bm.que.ne.jp/log/?date=20040723#p02 / http://d.hatena.ne.jp/BaddieBeagle/20040723#1090549856
筒井康隆『富豪刑事』
大富豪の跡取りである刑事が、金に糸目をつけないスケールの大きな捜査方法で事件を解決する。いまさらながら、軽く読めて「特殊探偵」ものとして面白い作品集。
冒頭に登場するのが「アルフレッド・ヒッチコックそっくり」の警視なのからもわかるように、映画の手法を非常に意識して書かれている。普段は映画でできることを小説の形式でやろうとする話はあまり評価しないのだけれど、これだけ開き直られるとまあ別にいいか、という気もしてくる。
第三話「富豪刑事のスティング」になると(「スティング」自体が有名な映画の題名だけれど)、語り手はこう宣言しはじめる。
>それならいっそのこと、話を面白くするために、小説中における時間の連続性を、トランプのカードをシャッフルするような具合に無茶無茶にしてしまえばどうであろうか。むろん、完全にごちゃまぜにするのではなく、事件のある一面だけを連続させ、それを書き終えてから他の一面を連続的に書くのである。(p.144)
これはたぶんスタンリー・キューブリック監督の映画『現金に体を張れ』を真似たものだろう。この語り手は他でも、謎解きをだらだら説明して読者のみなさんを退屈がらせてはいませんよね、みたいな弁明をしたりと、やけに小説の「時間」に介入したがる。
そういえば大金持ちがはちゃめちゃをやる、というのは1930年代くらいのハリウッド映画のパターンのような気もする。
刊行は1978年。『こち亀』の中川はこれが元なのかと思ったら、『こち亀』の連載開始は1976年で中川は開始当初から登場しているようなので、そうでもないみたい。
『青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!』
bibid:02456253 リトル・モア ISBN:4898151329
三人の映画談義本。三人とも好みが似通っていて、それを他人に啓蒙しようとする気もないようなので正直なところあまり面白くない。ジョン・カーペンターとブライアン・デ・パルマを、時代錯誤だけれど愚直で愛すべき映画作家、という感じの似たような文脈で持ち上げているのが印象的。
対談の内容も些細な聞き違いや脱線まで再現されていて、もうちょっと編集して刈り込んだほうが良くはないだろうか。映画談義は5本収録されているけれど、内容を整理して倍の10本くらい収録してくれないと物足りない。
上島春彦・遠山純生『60年代アメリカ映画』
bibid:02010381 エスクァイアマガジンジャパン ISBN:4872950763
『俺たちに明日はない』の1967年からニューシネマ革命がはじまった、というような史観ではなく、1960年代の10年間を射程にして、「赤狩り」映画人の復権、ヘイズコードの撤廃、暴力描写の発展など、それぞれの論点からアメリカ映画界の変容を取り上げた10本の論考を収録。著者のひとり、上島春彦は同じ叢書の『フィルム・ノワールの光と影』ISBN:4872950658 での論考も良かった気がするので読んでみた。
全体的に文章が研究論文調で堅苦しいのと、こちらが類書を読んでいないせいでどの程度が目新しい見解なのかよくわからない、というのはあるけれど、興味深く読めるところが多かった。
個人的に納得したのは、「それは『サイコ』からはじまった」(上島春彦)での、1960年の『サイコ』とそれ以前の『黒い罠』(1957)を並べて(どちらもジャネット・リーが襲われる筋書きなのが共通する)、犯罪や暴力を雰囲気で表現するフィルム・ノワールの時代から、それらを直接描写するショッカー/ホラーの時代への移行を指摘しているところ。『キッスで殺せ』を先駆として、『博士の異常な愛情』や『鳥』、『猿の惑星』などで開花する「世界滅亡」描写に注目した「そして誰もいなくなった−−人類滅亡の唄」という論考も興味深かった。
紹介されていて見てみたいと思った作品は、イヴリン・ウォー原作(『囁きの霊園』)の『ラブド・ワン』と、ロバート・ロッセン監督の『リリス』。後者は出演俳優がウォーレン・ベイティ、ジーン・セバーグ、ジーン・ハックマンと、『勝手にしやがれ』と『俺たちに明日はない』の架け橋のように見える。
ところで、本書の冒頭に当時の代表的な映画のポスターの図版が収録されているのだけど、一番作品を見てみたいとつい思ってしまったのは『ロリータ』(スタンリー・キューブリック監督)だった。というかこれは現代では無理じゃないかと思う。
Bloglines
はてなアンテナの代替というわけでもないけれど、最近はRSS対応のウェブサイトはどちらかというとhttp://www.bloglines.com/で更新をチェックすることが多い。見出しだけ斜め読みしたりもできて便利。
RSSリーダーは自分のPCで動かす形式のもいくつか試してみたけれど、ブラウザの他に別のソフトを立ち上げるのが使いづらく、それに要らない機能が付いていたりもして、Bloglinesのシンプルな機能で充分な気がする。各個人がむやみにRSSリーダーを動かすとhttp://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040525303.htmlという話もあるようだし。